なぜ、意味の分からない言語の歌は、人を休ませるのか——「言語処理ストレス」という新しい視点
音と睡眠研究所では、これまで「指向性ストレス」という概念を提唱してきました。方向性を持つ音源に対して神経系が行う継続的なスキャンが、慢性的な緊張状態を生む——という視点です。
今回は、指向性ストレスとは異なる、もう一つの音環境ストレス要因について考察します。それは、音楽に伴う「言語」そのものが引き起こすストレスです。
BGMは、本当に「聴こえていない」のか
多くの人は、BGMを「聴いているようで聴いていない」ものだと考えています。作業中や会話中に流れる音楽は、意識の外側にあると思われがちです。
しかし、歌詞を伴う音楽の場合、話は単純ではありません。
母語、あるいは理解可能な言語で歌われる歌詞は、聴覚から入った瞬間に脳の言語野で処理されます。これは意識的な「聴く」という行為とは独立して、自動的に起こる処理です。会議中に隣の部屋の会話が漏れ聞こえると、内容が気になってしまう現象と同じ原理です。理解可能な言語は、意識を強制的に引き寄せる性質を持っています。
これを、音と睡眠研究所では「言語処理ストレス」と定義します。
言語処理ストレスの定義
「言語処理ストレス」とは、理解可能な言語による音声・歌詞が、聴取者の意図に関わらず言語野で自動的に処理されることによって生じる、認知資源の消費とそれに伴う疲労を指します。
これは指向性ストレスとは異なるメカニズムです。指向性ストレスが「音源の方向を特定しようとする神経系の働き」によるものであるのに対し、言語処理ストレスは「言語の意味を理解しようとする脳の働き」によるものです。
両者は独立していながら、しばしば同時に発生し、互いに疲労を増幅させます。
なぜ、理解できない言語は、負荷が低いのか
ここで一つの疑問が生まれます。歌詞のある音楽すべてが問題なのであれば、インストゥルメンタル音楽だけが正解ということになりはしないか。
しかし、声には声の効果があります。人の声には、楽器にはない温かみや親密さが宿ります。歌詞を完全に排除することは、その効果までも失うことになります。
ここで重要になるのが、「意味として処理されない言語」という選択肢です。
聴取者にとって未知の言語——多くの日本人にとってのフランス語のような言語——で歌われる歌は、声としての質感、抑揚、感情表現は届きながら、言語野による意味処理の強制は起こりません。声は「音」として響き、「言葉」として処理を要求しない。
この状態は、言語処理ストレスを回避しながら、声の持つ効果を活かすという、両立が難しい2つの要素を同時に満たします。
休息にとって、何が最も重要か
睡眠・休息のための音環境を考えるとき、私たちはしばしば「音量」や「静けさ」にばかり注目します。しかし、以上の考察から見えてくるのは、音の大きさよりも、脳にかかる処理負荷こそが重要だという事実です。
指向性ストレスを避けるためには、音源の方向性を排除すること。言語処理ストレスを避けるためには、意味処理を強制しない音を選ぶこと。この2つが揃って初めて、脳と神経系が真に負荷から解放された状態——副交感神経が優位になりやすい環境——が整います。
今後の考察
音と睡眠研究所では、指向性ストレス・言語処理ストレスに続く、第三の音環境ストレス要因についても、今後継続して考察していく予定です。音環境がもたらす心身への影響は、まだ十分に体系化されていない領域です。私たちは実践の現場で得た知見を、一つずつ言語化していきます。
